ともに生きよう  ともに働こう  ともに学ぼう 伝わってゆくこの「いのち」を ここに記します。
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和暦:平成21年2月26日 木曜日
旧暦:2月2日
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《できごと》
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・1936年 - 二・二六事件、内大臣齋藤實・大蔵大臣高橋是清ら殺害される。
・2003年 - 飛鳥時代の迎賓館跡とされる奈良県明日香村の石神遺跡から、元嘉暦に基づく具注暦を
記した木簡が発見される。
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《記念日・年中行事》
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・二・二六事件の日

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二・二六事件(ににろくじけん、にてんにろくじけん)~

大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大
尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺
害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らは、この考えの下1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して

蹶起直後の半蔵門岡田啓介(内閣総理大臣)
鈴木貫太郎(侍従長)
斎藤実(内大臣)
高橋是清(大蔵大臣)
渡辺錠太郎(陸軍教育総監)
牧野伸顕(前内大臣)

の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害、また岡田総理も殺害と発表され
た(但し誤認)。
その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱
軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰
させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。
近代日本にもこのような事件があったことを現代の日本人の私たちはどのように感じますか?
大きな事件が起こるときには、いつも共通していることがあるように思います。
それは、だれもが正しいことをしようとしているということだと思うのです。
どんなに世界に批判されるような事件でも、当事者はそれが正しいことだと信じて行っているのだと思
うのです。
戦争も、虐殺の呼ばれるような事件も、悪政も、
本人は正しいこと、正当なことと考えていると思うのです。

では、人はどのように生きるべきでしょうか?

何が正しくて、何が間違っているのでしょうか。
それらは、時代によっても変化することは、歴史が示しています。
ですから、このように思います。
行動は、結果のために行うのではなく、その時、その人、その場所に、与えられた役目をただ無私のこころで行うこと。
時には結果が期待されるものであるかもしれないし、まったく正反対になるかもしれない。
しかし、結果へのこだわりをもたず、ひたすらに専心するためには、いくつかの決して揺らがない信念が必要になります。

武士道の仁、
医者が人の命を救うこと、
年長者を敬うこと、
母、母国、母語を敬うこと
常に助け、決して傷つけないこと

結果はゆだねて、自分の務めをはたすこと
私のないこころで
そのように、私は生きたいと思うのです。

今日もいのちをありがとう
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