ともに生きよう  ともに働こう  ともに学ぼう 伝わってゆくこの「いのち」を ここに記します。
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人に言葉を聞いてもらえないことが、どれほどさみしいことか
人に言葉を聞かれていることが、どれほど責任のあることか



人間関係に問題が起こったとき

迷いと、恐れと、問題解決が頭に浮かぶ

これは間違っているな、
これは、どうやって解決しよう
これは、どうやって説得しよう

そんな風に思ったときほど、明るく話せる状態が必要だと思いました。
そして最後に、
「~こうしたらもっとよくなるね!一緒にがんばろう!」

営業のスキルでYES  BUT NOと言います。
顧客の無理な注文や、間違った提案に対して、NO!というのではなく、

まず (YES)

「そうですね~
どうしてそう感じるんですか?
なるほど そうですよね」

でも (BUT)

「~すればもっと うれしいんじゃないですか?」 (NO)

これは単なるテクニックでもあります。
でも、本当の中庸の中にもこの会話があります。


中庸の世界では、判断や状況に意味はそれほどなく、ただ流れていくと思うのです。
永遠でないものとして・・・

どうすれば、中庸になれるのか


尊敬だと思いました。

尊敬とは何でしょうか?

「~さんの~なところを尊敬しています。」

これは評価だと思うのです。

尊敬には、条件はありません。

立派でも、おろかでも、良くても悪くても、
無条件にあるもの
それが尊敬

尊敬があれば、そんな困難な状況も、自然に流れていきます。
どうすればよいのか、何が正しいのか迷ったとき

こう考えなおしました。

何をするかではなくて、
どうあるのか

同じことをしても、行う人が違えば結果は全く異なることがあります。
つまり、何が正しいかの選択には、あまり意味はないことがあるということです。

何をしても、どうあるかの方が状況を変える力は大きい

だから、尊敬があふれていたら、愛があふれる
すると、何もしなくても、よいよいにも、悪いようにもなる
結果は、よくても悪くても
目的地に向かう道になっている

それが、無私の奉仕ではないかと、思うのです。
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