ともに生きよう  ともに働こう  ともに学ぼう 伝わってゆくこの「いのち」を ここに記します。
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和暦:平成21年3月4日 水曜日
旧暦:2月8日
二十四節気: 雨水(2/18~3/4) ◇雪氷がとけ雨水となる季節
月名(旧暦日):宵月
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《記念日・年中行事》
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旧暦:2月8日
・針供養
・御事始め - その年の農事等雑事を始める

2月8日と12月8日は針供養(はりくよう)の日。
使えなくなった針に感謝を込めて供養します。地方によって、どちらか一方の日に行うところも、両日とも行うところもあります。

折れたり、曲がったりして使えなくなった針を集め、豆腐やコンニャクなどの柔かいものに刺したり、紙に包むなどします。
それを神棚に供えたり、神社に納めて供養し、針仕事の上達を祈ります。

使える針もこの日は手にせず、女性は裁縫を休みました。
今では、一般の家庭では針供養どころか針を手にすること自体が少なくなっていますが、裁縫が女性のたしなみであった時代は、針供養は大切な行事でした。
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2月8日「御事始め(おことはじめ)」、12月8日は「御事納め(おことおさめ)」は節目として、針仕事を休む日とされていたそうです。
江戸時代には、12月8日を御事始め 2月8日御事納め とし、正月の準備を12月に始めて2月に納めるという考え方もあったようです。
しかし、本来の意義としては一年の農作業を始める日という意味で2月8日に初めて、12月8日に納めるということのようです。

針一本にも魂を感じ、敬い、日々生きる。
にほんのこころは、かくも美しく、素朴で、日々に生きているのですね。

今日もいのちをありがとう
譯・・繝医Φ繝阪Ν・狙convert_20090303003035

雛祭り

3月の巳の日は、巳の日の祓という禊ぎの儀式があり、桃の節句となったようです。
上巳の節句のはじまりは?

もともと「上巳」とは、陰暦3月の最初の巳(み)の日の事を指します。
中国では川のほとりに男女が集まり、災厄を祓う「上巳の祓い」という行事がおこなわれていました。
文人は川の上流から盃を流して、自分のところに流れ着くまでに詩を作るという曲水の宴を催したのです。
この上巳の祓いは、魏の時代には3月3日におこなわれるようになり、やがて日本でもこの日に曲水の宴を催すことになったということです。

日本では、古来、巳の日の祓いとして草や紙で「ひとがた」という人の形をつくり、災いを払うために川

や海に流していました。
やがて中世になると人形が現れ、平安時代宮中では「ひいな遊び」というお人形遊びが盛んになりました。
この「ひとがた」と「ひいな遊び」が自然に結びつき、今のひな祭りになったといわれます。

ひな祭りの移りかわり

「ひとがた」でけがれを祓う上巳の節句が、現在のような女の子のおまつりになったのは、近年になってからです。

室町時代の末頃から始まった3月3日のひな祭りは、戦国の世を経て平和が訪れた江戸時代に華麗な女の子のための行事となっていきます。
寛永六年(1629)京都の御所で盛大なひな祭りがおこなわれたのをきっかけに、幕府や大奥でもひな祭りをおこなうようにり、やがて武士階級から町人へ、江戸から地方へと広まってゆきました。

江戸時代の中ごろになると、女の子の誕生を祝って初節句にひな人形を飾る風習も生まれ、豪華なものも作られるようになってきました。
華美になりすぎるひな人形をいましめる幕府のおふれも再三にわたって出されるほどでした。

これらは古来、宮中の行事であったり、中国から伝わった伝説であったりしたものです。
それが長い歴史を経るうちに、地域の暮らしや風土にあったものへと姿を変えながら、現代の私たちに季節感を伝えてくれたり、暮らしのワンシーンをなごやかなものにしてくれたりするのです。

旧暦と五節句


節句(せっく)は、伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日で日本の文化・風習のこと。節供(せっく)とも書く。
日本の風習と、中国大陸から伝わった暦が合わさって誕生した。
古くは節日(せちにち)といい、節日には朝廷において節会と呼ばれる宴会が開かれた。
日本の生活に合わせてアレンジされていくつもの節日が伝わっていたが、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めたのが節供である。

つまり、節句は旧暦にしたがって行われていたのだ。
旧暦3月3日ごろには、だいたい桃の花も咲いていたが、現在の3月3日には、まだ咲いていない。

また、二十四節句と五節句を混同してしまうことがあるが、二十四節句は地球が太陽の周りをまわる角度で決めるので、現在の暦に対応しやすい。立春はだいたい毎年2月4日ごろである。

暦と年中行事の全体的な知識がわかると、このあたりのことがすべてパズルのようにつながって感じられる気がする。
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お月さまにはいくつかの名前があります。

たとえです。
太郎くんは、学校ではタロッペと呼ばれ、家では太郎と呼ばれ、サッカー仲間からは韋駄天と呼ばれている。(足が速いから)
同じ太郎君にいろいろな意味の名づけ方があるのです。

同じように、お月様にもいろいろな名づけ方があります。
見え方、何日目の月か、いつごろ見える月か

下の表は、旧暦の日にちに対応する月の名前です。
旧暦で15日は満月、30日は新月です。


1 朔
2 二日月
3 既朔
4 三日月
5 眉月
6 上弦の月
7 弓張月
1-7 夕月
9 九夜月
13 十三夜月
14 小望月
14 宵待月
14-22 宵月
15 十五夜
15 望月
16 十六夜月
17 立待月
18 居待月
19 寝待月
20 更待月
23 下弦の月
23 弓張月
26 二十六夜月
26 眉月
23-28 有明月
29-30 暁月
30 晦日月

以下、「こよみのページ」より引用
http://koyomi8.com/directjp.cgi?http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0203.htm

新月(しんげつ)
1日頃 朔のこと。月が見えない時期のため、昔は三日月から逆に遡って、朔の日付を求めた。新月の呼び名は英語の「New Moon」からだそうなので、そんなに古い呼び名ではないみたい。

繊月(せんげつ)
2日頃 二日月(ふつかづき)とも言う。日没後1時間前後のまだ明るい空に、繊維の様に細い月が見えることがある。

三日月(みかづき)
3日頃 通常、新月後最初に出る月であったので、「朏(みかづき・ひ)」という文字で表されることもある。三日月には異称が多く、初月(ういづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき)など(・・他多数)とも呼ばれる。異称の多くは最初に見える月だということや、その形からの連想ですね。もっとも印象深い月かもしれません。

上弦の月(じょうげんのつき)
7日頃 夕方西の空に見え、西側が明るく輝いている。夕方の空にかかる姿を弓の形になぞらえると、弦を張った側(欠けぎわの側)が上に見えるからこの名前

十日夜の月(とおかんやのつき)
10日頃 上弦の月より幾分ぷっくりとふくらんだ月。旧暦の十月の十日には、「十日夜」と呼ばれる行事があり、観月の慣習もあった。

十三夜月(じゅうさんやづき)
13日頃 古来、満月に次いで美しい月とされたらしく、月見の宴などが行われていたようです。美しさについては個人の好みの問題だ。

小望月(こもちづき)
14日頃 満月(望月)の前夜。幾望(きぼう)ともいう。幾は「近い」の意味だそうだ。

満月(まんげつ)
15日頃 異称として、望月(もちづき)・十五夜(じゅうごや)などがある。満月も英語の「Full Moon」から。
市民天文台などでは、満月に「観望会」など開いて望遠鏡で月を覗くが、望遠鏡で見るには「最低の月」。お月見は肉眼でしましょう。

十六夜(いざよい)
16日頃 他に、既望(きぼう)・不知夜月(いざよいづき)などともいう。既望は望月を過ぎた月、不知夜月は一晩中月が出ているので「夜を知らない」の意か。「いざよい」はためらうという意味のある「いさよう」から出たとか。望月より月の出が遅れるのでそれを「月の出をためらう月」と考えたのか。

立待月(たちまちづき)
17日頃 夕方、月の出を「いまかいまかと立って待つうちに月が出る」くらいの月。月の出は日没からだいたい1時間40分後なので、あんまり早くから待つと疲れるぞ。

居待月(いまちづき)
18日頃 居は「座る」の意味で、立って待つには長すぎるので「座って月の出を待つ月」。座ってても疲れるかも。

寝待月(ねまちづき)
19日頃 別名、臥待月(ふしまちづき)。いずれにしても横になって待たないとならないくらい月の出は遅い。横になっているうちに熟睡してしまうと夢の中の月見となるので注意。。

更待月(ふけまちづき)
20日頃 夜更けに昇るのでこの名前。だいたい午後10時頃に月の出となる。

下弦の月(かげんのつき)
23日頃 月を弓に見立てての名前。だが暗いうち(東の空から昇るとき)に見える月の弦は下にはならないので誤解の無いように。古くは二十三夜講などの風習があった(※異説)。

有明月(ありあけづき)
26日頃 夜明けの空(有明の空)に昇る月。本来は十六夜以降の月の総称。この時期に限定すれば「暁月」の方が正確か。古くは二十六夜講などの風習があった。

三十日月(みそかづき)
30日頃 新月頃。30日なので「みそか」。月末を「晦日(みそか)」というのはこのため。また「晦日(つごもり)」ともいう(大晦日を「おおつごもり」なんていいますね)。ちなみに「つごもり」は「つきこもり」が転じたもので、月が姿を見せないのでこう呼ばれた。


名前と文化

それぞれの文化で大切なものには詳しく分類する名前がつきます。

乳製品、食肉、農耕用など牛と関係が深い欧米の言語には、牛をあらわす言葉が多く、
四季の変化が豊かで、稲作に大切な要因となる雨について、日本語では多くの言葉があるそうです。

上記の表を見てわかるとおり、日本語にはこれほどの月の名前があります。
それは、そこに重要な意味を持たせている文化であるということでしょう。

月の名前を忘れてしまったら、月に対する想いの深さも失われてしまうのではないでしょうか。
月 という一言で足りると感じるようになってしまったら・・

逆に、多くの月の名前を覚え、呼びかけることで、そこに生きている日本のいのちを感じ、受け継ぐことができるのではないかと思ったのです。
和暦:平成21年2月27日 金曜日
旧暦:2月3日
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《できごと》
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・2004年 - 立川反戦ビラ配布事件で三名を令状逮捕。
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立川反戦ビラ配布事件(たちかわはんせんビラはいふじけん)~
2004年1月から2月にかけて、反戦ビラ配布の目的で立川自衛隊官舎内に立ち入った3名が、住居侵
入罪の容疑で逮捕・起訴された事件。一審では無罪判決。検察が控訴し、控訴審では有罪判決。被
告人は即日上告したが、最高裁で棄却され東京高裁の有罪判決が確定した。
この事件では、ビラを配ることが犯罪とされてしまうののかという論議につながったようである。
双方の主張があり、司法の手にゆだねられた。
現場となったのは立川自衛隊官舎内である。
さて、私たちは自衛隊のことをどれだけ知っているでしょうか。
友人・家族に自衛隊員がいる人
自衛隊の参加するイベントに参加したことはある人
新入社員研修で体験入隊したことがある人
メディアで詳しく見たことがある人
さまざまだと思います。
しかし、みんなに共通していることがあります。
自衛隊の活動、存在により大きな影響を受けている日本という国に生きているということです。

たとえばイスラエルで生きていた人が、日本に移住したらそれを具体的に実感できるのではないでしょうか。
今日の日本では、日々いつでも他民族から攻撃されるかもしれないと考えて生活をすることはありません。

「人は決してひとりではなく、社会の一部である」
「社会のしあわせなしに、決して個人のしあわせはない」

賛成、反対、それは正反対の意見というだけでなく、同じ台の上に立っている仲間ともいえます。

自分とは関係ないと感じたときに、人の心は社会からも隣人からも離れてしまいます。
愛の反対は、無関心です。

今日もいのちをありがとう
和暦:平成21年2月26日 木曜日
旧暦:2月2日
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《できごと》
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・1936年 - 二・二六事件、内大臣齋藤實・大蔵大臣高橋是清ら殺害される。
・2003年 - 飛鳥時代の迎賓館跡とされる奈良県明日香村の石神遺跡から、元嘉暦に基づく具注暦を
記した木簡が発見される。
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《記念日・年中行事》
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・二・二六事件の日

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二・二六事件(ににろくじけん、にてんにろくじけん)~

大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大
尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺
害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らは、この考えの下1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して

蹶起直後の半蔵門岡田啓介(内閣総理大臣)
鈴木貫太郎(侍従長)
斎藤実(内大臣)
高橋是清(大蔵大臣)
渡辺錠太郎(陸軍教育総監)
牧野伸顕(前内大臣)

の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害、また岡田総理も殺害と発表され
た(但し誤認)。
その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱
軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰
させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。
近代日本にもこのような事件があったことを現代の日本人の私たちはどのように感じますか?
大きな事件が起こるときには、いつも共通していることがあるように思います。
それは、だれもが正しいことをしようとしているということだと思うのです。
どんなに世界に批判されるような事件でも、当事者はそれが正しいことだと信じて行っているのだと思
うのです。
戦争も、虐殺の呼ばれるような事件も、悪政も、
本人は正しいこと、正当なことと考えていると思うのです。

では、人はどのように生きるべきでしょうか?

何が正しくて、何が間違っているのでしょうか。
それらは、時代によっても変化することは、歴史が示しています。
ですから、このように思います。
行動は、結果のために行うのではなく、その時、その人、その場所に、与えられた役目をただ無私のこころで行うこと。
時には結果が期待されるものであるかもしれないし、まったく正反対になるかもしれない。
しかし、結果へのこだわりをもたず、ひたすらに専心するためには、いくつかの決して揺らがない信念が必要になります。

武士道の仁、
医者が人の命を救うこと、
年長者を敬うこと、
母、母国、母語を敬うこと
常に助け、決して傷つけないこと

結果はゆだねて、自分の務めをはたすこと
私のないこころで
そのように、私は生きたいと思うのです。

今日もいのちをありがとう